これは決して自分だけの力で成し遂げた事ではありません。
母や看護師の助けがあったからです。
父の最期は自然でした。
母はそれまでいつもと変わらず、庭を掃き
『ご飯どうする?』
等と私に尋ねていましたが、私が
『お母さん、たぶん今日の夜か夜中にお父さんは逝ってしまうと思うけど感じている?』
と聞くと
『えっ!そうなの。じゃお姉ちゃん呼ばなきゃ!』
と箒をすっとばしていたのを覚えています。
父の医療処置は左頸部に入った中心静脈栄養とレスキューの麻薬の調節でした。
クリニックから毎日1時間ほど看護師が訪問し、バイタルサインの確認と点滴交換を行ってくれました。
あとの23時間は家族で看ました。
"母は強し"と言いますが、それでも点滴には抵抗があり、看護資格を持つ私がいなければ自宅退院には踏み切れなかったと言います。
父の最期はずっと家族で見守りました。
しかし姉の最期の際にはそれが出来ませんでした。
姉は病院の集中治療室で呼吸器と点滴に囲まれ、酸素、中心静脈栄養、導尿カテーテル(バルンカテーテル)そして麻薬等を使用し、最期は意識も無く逝ってしまった事が今でも悔やまれてなりません。
今では4人家族が2人家族になりました。
私が母に出来る親孝行は最期を見届けて母のしたい様にさせてやる事です。
姉とは老後にお茶を飲んだり温泉に行ったりしたかった。
やはり今は寂しいです。
母は『私は今から病院へは行きたくない。』と言っています。
家長看護師: 佐久間 洋子
出身地: 東京都足立区
主な経歴:
昭和58年3月 東京警察病院看護専門学校卒業
昭和58年4月 東京警察病院
昭和61年10月 心臓血管研究所付属病院
平成元年10月 榊原記念病院
平成6年5月 杏林大学医学部付属病院
平成12年9月 織田福祉専門学校
平成14年7月 医療法人社団永寿会
訪問看護ステーション所長
老人保健施設三鷹中央リハケアセンター看護介護科科長
看護協力 ひとまちここ訪問看護ステーション